どうしてこんなにも苦しいのだろう。



ただ、居場所が一つずつずれているだけなのに。


















Seasons


─Summer─ act.03












「ほな、またな」
「うん」


色々とすったもんだはあったもののなんとか無事に第2回北斗杯を終えたオレは、その日のうちに大阪へ帰ることにした。
塔矢も進藤も「もう1日くらい泊まっていけば」と言ってくれたのだが、GW中で学校が休みとはいえ、その間ずっと碁の用事で東京にいるワケにもいかなかった。両親がいい顔をしないことがわかっていたからだ。

そんなワケで、オレ達日本チームは会場でそのまま解散することになった。
倉田さんは楊海さんたち中国チームと中華料理を食べに行き、塔矢はご両親──塔矢元名人が台湾より帰国しているというので急いで自宅へ帰り、そして残された進藤は再びオレに「東京駅まで送っていくよ」と言った。
最後の韓国戦、洪秀英との一局で進藤は酷く疲れているようだった。「かまへんよ」と言ったのだが、進藤は力強く首を振るとそのまま無言でオレの後をついてきたのだ。

──そうしてオレと進藤は今、駅のプラットホームの上にいる。

こうして二人で並んで駅のホームに立っていると、否が応にもこの前の春の出来事を思い出す。
東京に来て和谷の家に泊まって、あの時も進藤は「送る」と言って無理矢理オレの後をついてきた。
そして同じこの東京駅のホームで、オレは進藤に告げたのだ。



『オレは、お前が好きやから』



よりにもよってオレは今、あの時と全く同じ場所・同じシチュエーションで、その告白をした相手と並んで立っているのだ。
あかん、意識した途端に妙に緊張してきたわ。
オレは無駄にドキドキと強い音を立てる心臓と、今にも真っ赤になってしまいそうな顔を押さえつつ、横に立つ進藤の顔をチラリと見つめた。
真っ直ぐに前を向いて立つ進藤。その横顔からは何の感情も読み取れなかった。


今回、この東京に来て思い知らされたこと。
それは、オレが進藤のことを何も知らなかったということ。


オレは進藤のことを「好きだ」「好きだ」と言いながらも、進藤のことを何も理解していなかったのだ。
だから今もわからない。
手を伸ばせばすぐに届く──隣に立つ進藤が、何を考えているのか。何を思っているのか。
なら聞いてみればいいのかな。わからなければ、聞いてみればいいのだろうか。
聞いたら進藤は答えてくれるのかな。
聞きたいことは一杯あった。



今、何を考えているの? 何を思っているの?



それだけじゃない。
北斗杯の前の3日間、姿を消していたのは何故? 本当にただ強くなりたいだけだったの?
あの洪秀英との対局での、あの一手は何? そしてその時に見せた、あの「泣き出しそうな表情」は何?

それから、それから。
この前の告白のこと。覚えているのかな。返事を聞いたら駄目かな。


そうだ、それとそのリストバンドの下の──……






「社」


オレが頭の中で目まぐるしく様々な思いを巡らしていた時、進藤のオレの名を呼ぶ声で我に返った。
オレが慌てるようにして「な、なんや」と返事をすると、進藤は突然深々と頭を下げながら大きな声で言った。


「ごめん!」


進藤の大声にオレの身体は大きく揺れて、そのまま動きを止めてしまう。
止めてしまうというか、止まってしまったというか。

………それってまさか………。

それってまさか、この間の告白の返事?
いわゆる「ごめんなさい」ってヤツ?

突然の進藤の謝罪にオレが思わず引きつった顔で「え?」と聞き返すと、進藤はますます焦った顔になって「ごめん!」ともう一度言った。

ホラ言った。
また言った。また「ごめんなさい」ってオレ言われた。
なに? もしかしてオレ、今フラてる真っ最中?

オレが引きつった顔のまま進藤を見つめていると、進藤は顔を俯かせたままゆっくりと口を開く。


「今回は…本当にごめん。オレ、お前にも塔矢にもすごく心配かけたし、迷惑かけた」
「………………へ?」
「本当にごめんね」


そう言って進藤は再び深く頭を下げる。
どうやら進藤が謝っているのは、オレをフッているのではなく、今回の北斗杯前に姿を眩ませたりして心配をかけたことについて…らしい。

……………………………よかった。
どうらやオレは、まだフラれていなかったらしい。

オレが心の底からホッとして「よかった…」と言いながらハーッと深い安堵の息をつくと、進藤は不思議そうな顔をして「え?」と言った。安心したせいか、思わず「よかった」という単語が口から飛び出していたらしい。
進藤のジッと見つめる瞳に誤魔化しようもなく、逃れられなくなったオレは「ええと、その」と、しどろもどろとしながら口を開いた。


「その……この間の、コト…なんやけど」
「この間?」
「その、ここのホームで、オレ…お前に好きや……って……」


オレのその言葉に進藤は1、2秒沈黙した後に大きな声で「あ」と言う。
こんな風にこんな直ぐに、しかもこんなカタチでこの話題を振るつもりはなかったオレは、赤くなっていく顔をパンパンと叩いて押さえながら、目の前に立つ進藤の様子を窺った。
進藤は顔色こそ変えていないものの、目を泳がせて明らかに困った様子になってしまっている。
……そりゃ、そうだよな。
お前は塔矢が好きなんだし。オレに好きと言われても困るだけだし。わかっていたことだ。



オレは。
オレはこんな風にお前を困らせるために、お前に想いを告げたワケじゃないんだよ。





オレは大きく息をつくと、出来る限りの優しい声で「別に焦らなくてええよ?言った。
オレのその言葉に、進藤は「え?」と言って顔を上げる。


「オレ、お前が塔矢を好きなのは知ってるし」
「………」
「だから無理強いはしない。
 焦って答えを聞くようなこともせえへんから、安心してええよ」
「………」
「お前の中で何か決着ついたら、聞かせてや」


「どんな答えでもかまへんから待ってる」と正直な自分の気持ちを伝えて笑うと、それまで顔色を変えることのなかった進藤の顔がパアッと赤く染まり、そして眉をキュッと寄せた。

ああ、なんだろう。この表情はオレに何を伝えようとしているのだろう。
オレはお前のことをよく知らないから、表情からお前の気持ちまでは読み取ることが出来ないよ。
もしかして、またオレは余計なことを言ってお前を困らせてしまったのかな。


「オレの方こそ悪かったな」
「え?」
「勝手に好きだとか言って」
「………」
「もしもそれで、お前の中のペースっつーか…気持ちを乱してしまったんなら…
 ホンマ、ごめんな」
「………」
「ごめん」


先程の進藤がオレにしたように、今度はオレが「ごめん」と言いながら頭を下げた。
頭を下げたオレは、何となく顔を上げて進藤の表情を見るのが怖いような気がして、暫くの間頭を下げた姿勢のままでいた。
するとそんなオレの頭上に──「どうして?」という進藤の柔らかい声が降ってくる。
その声に引っ張られるようにしてオレが顔を上げると、進藤はオレの顔を見て小さく笑い「どうして社が謝るの?」と言った。


「社は何も悪くないよ」
「………」
「好きなんだから、謝る必要なんてないよ」
「でもオレ……お前がいなくなっている間…
 もしかしてオレがお前のこと、悩ませてしもうたんやないかって」
「ううん、違うよ。本当に心配かけてごめんね」


そう言って進藤は再び笑った。
そんなオレと進藤の間を、春の終わりを告げる温かい風が流れてゆく。
その風が進藤の軽い前髪をフワリと持ち上げた時、その下に隠れていた進藤の大きな目が優しく微笑んだ。


「おかしいよね。誰も悪くなんてないはずなのに」
「え?」
「ただ好きっていうだけで、どうしてこんなに苦しいんだろうね」
「──……」






「ただ居場所が──気持ちの居場所が、一つずつずれているだけなのに」







進藤がそう言って笑った後に、大阪行きの新幹線がパアッと大きな音を立ててホームに滑り込んできた。
すぐに発車してしまう電車にオレは慌てて乗り込み、進藤とオレはドア口で2,3言、言葉を交わした。
進藤から小さな白い紙を受け取った途端に新幹線のドアはプシュッと音を立てて閉じてしまい、オレと進藤の間を隔ててしまった。
閉じられたドアの向こう側で進藤はニッコリと微笑んで手を振り、オレを乗せてゆっくりと走り出した新幹線にいつまでも手を振り続けていた。

オレはというと──新幹線のドアにへばり付いたまま笑顔で手を振ってくれる進藤を見つめ続け、次第に進藤は小さくなって見えなくなり、気が付くと東京駅を発車していた。
東京駅を離れて暫く経ってから「ああ、そういえばオレは大阪に帰るんだっけ」と我に返り、自分の席を探して腰を下ろした。


進藤のいる東京を離れ──窓の外を猛スピードで流れてゆく景色を見つめながら──オレは進藤が最後に言ってくれた言葉を頭の中で何度となく再生する。







『どうしてこんなに苦しいんだろうね』

『気持ちの居場所が、一つずつずれているだけなのに』






『オレ、社に「好き」って言ってもらえて嬉しかったよ』

『オレ、社のことを好きになれば良かったのに』

『そうしたら、こんなに苦しまなくても済んだのかな』











『どうして上手くいかないんだろう』












本当に、どうして上手くいかないんだろう。
オレの気持ちも、お前の気持ちも。そして塔矢の気持ちも。
それは決して間違っているワケじゃない。ただ、それぞれの居場所が少しずつずれているだけなんだよ。
「好き」という想いは一緒なのに、向いている方向が違うだけなんだ。

それだけで、どうしてこんなにも苦しいのだろう。




でもこんなにも苦しいからこそ誰かを想うこの『恋』という気持ちは、
こんなにも愛しいんじゃないのかな。




なんとなくそんなことを思いながら、オレは手の中にある小さな紙を見つめる。
進藤が最後に渡してくれたその紙にはまだ進藤の温もりが残っているような気がして、その温もりを逃さないようにとオレは優しく握りしめる。
温もりの残る小さな白い紙──そこには、まもなく引っ越すという進藤の新居の住所が書かれていた。





『教えるの、社が初めてかも』

『また一緒に、碁、打とうね』






返事はまだ聞かせてもらえなくてもいいから。
碁を打つ相手、というだけでもいいから。




でもこの紙に残された温もりはオレだけのものだと、そう信じても構わないよな。









進藤。





















小さな温もりを手の中に閉じこめたまま、窓の外の景色を眺める。
新緑の葉が眩しい5月────





まもなく、春が終わろうとしていた。