「何故好きなったの?」



オレがそう問い掛けた子供は、その言葉を聞いた瞬間にグシャリと音を立て潰れてしまった。









そもそも、人が人を好きになるのに別段理由などいらない。
この問いを投げ掛けて明確に答えを返すことの出来る人間など数少ないものだろう。
問い掛けたオレ自身でさえ、何故この子供に惹かれたのか説明出来ないでいるのだから。

にも関わらず、子供がオレの問いに対して心を潰してしまったのは──理由があるからだ。


                              ・・・・・
進藤ヒカルが塔矢アキラを好きでいることには、理由が──いや、目的があるからだ。





その目的とは何なのだろう。
オレは未だにそれを問い掛けることが出来ないでいる。






オレがそれをヤツに問うたら、答えてくれるのだろうか。

それとも死ぬだろうか。
















死ぬだろうな、きっと。

だからオレは怖くて聞けない。




































何も答えず、ただ血を流してオレに抱かれるこの子供が酷く愛おしく、



そして憎かった。











Seasons


─Summer─ act.07













進藤ヒカルと出会ったのは、いつだったか。
確かヤツがまだ小学生だったから、今から5年以上も前のことになるのか。




確か何処かの会場で「こども囲碁大会」とかいう大会があって、それにオレが講師兼解説として呼ばれ仕事に行っていた時のことだった。
その頃、周囲からプロ入りを嘱望されていたアキラくんが謎の通りがかりの小学生に一刀両断されたことが塔矢先生の碁会所で話題になっていて、オレも気になっていたのだ。あのアキラくんを負かす小学生がこの世にいるのだろうか。信じられなかった。

そんなこともあって、普段なら絶対に引き受けるはずのない「こども囲碁大会」なんていうくだらん仕事を自ら受けたのだ。
全国から囲碁の腕に覚えのある子供が集まる大会だ。
アキラくんを負かす程の子供であれば、出場してくる可能性が高いと思ったからだ。
だが、参加者の中にはそれと思しき子供はいなかった。──参加者の中、には。

対局をしていた子供の傍を、これまた同じく通りがかりの小学生が瞬時にして急所を見抜き指摘をしたというのだ。
プロでさえ手が止まるような局面を、だ。

きっとそいつだ。そいつに違いない。
なんの証拠もないのに、不思議とオレの中にはそんな確信があった。

だが結局、オレはその時進藤の姿をチラリと見ただけで名を聞くこともなかった。



それから数日後──再びヤツが碁会所に現れ、2度に渡りアキラくんがソイツに一刀両断にされたという話を市河さんから聞いた。そいつの特徴と、名が「進藤ヒカル」ということも。
その後オレは偶然碁会所の前でヤツの姿を見つけ、塔矢名人と引き合わせて──……そこからが、オレとヤツの奇妙な縁の始まり。




その後も不思議と進藤とは縁があった。
別に兄弟弟子でもなんでもないのに、何故だかオレはヤツがチラチラと視界に入り気になって仕方なく、何かと手出しをしていた気がする。
院生になるのに口をきいたり、塔矢門下に誘ったり。若獅子戦をわざわざヤツだけのために見に行ったこともあった。

その後1年程が経ってヤツはプロになり、それと入れ替わるようにして塔矢先生が碁界から引退してしまった。
先生は今でも決して語らないが、ネット碁で行われた「sai」との対局が原因であることは明らかだった。
そしてどうやらその手引きをしたのは進藤だということも──。

オレはsaiと打ちたかった。
それを理由に進藤に詰め寄ったり対局を持ちかけたこともあった。
だが進藤にはいつも寸前のところでスルリと逃げられて、結局saiとの対局は叶わず進藤の謎もわからぬままだった。



不思議だった。
今こうして思い返してみれば、ただのガキだ。
アキラくんよりも全然幼くて、無礼でムカつくただのガキ。

そんなガキがどうしてオレはこうも気になるのだろう。
どうしてこうも心惹かれるのだろう。


最初は、saiのことがあるからだと思っていた。
オレがここまでヤツに関心を示してしまうのは、ヤツの背後にsaiの影が見えたからだ。
saiと打ちたいがためにオレはこうも進藤のことを考えてしまうのだ──と思っていたのだ。









そんなある日──あれはいつだったか。



出版部での打ち合わせを終えて棋院の階下へ降りた時に、ロビーで一人佇む進藤を見た。
進藤が立っていたその場所は、かつて偽物の魚が泳ぐ水槽が置かれていた場所だった。
進藤はその水槽が好きだったのか、以前からよく覗き込んで何かをブツブツ言っているのを見たことがあった。

そういえば、あの進藤の「独り言癖」がなくなったのは、いつだったか。

そんなことを思いながらも、オレは進藤に再び声を掛けようと近づく。
だがオレは──そこに佇む進藤の表情を見て声を掛けることは出来なかった。
そのままただヤツを見つめて立ち尽くし、ヤツはオレに気付かぬまま立ち去ってしまった。

──何も、映していなかったのだ。
あの大きな瞳に何も映さず、ただぼんやりと立っていたのだ。

その表情を見た時、オレは悟った。











ああ、saiはもういないんだな。












何故だか進藤のその表情を見た時に一番初めに頭に浮かんだことがそれだった。
またもや何の証拠もないのに、オレはそう確信した。
何故そう思ったのだろう。よくわからない。


それからというものの進藤はより多くオレの視界を、視界どころか思考の中にまでちらつくようになった。
そしてよく考えるようになった。進藤のことを。

アイツがブツブツと誰かと話すようにしていた独り言が消えたのはいつからだろう。
あんな表情を見せるようになったのはいつからだろう。
強くて巧みな碁──だが時折見せる脆い一手。
こんな刹那な碁を打つようになったのはいつから?



アイツから無邪気な笑顔が消えたのは、いつだったのだろう。



そうして進藤のことばかり考えていてオレはある日気付く。
ああ、これはもしかして。
もしかしてこれが『人が人を好きになる』という感情なのではないだろうか。
オレは進藤の向こう側にいるsaiを見ているつもりだったけど──いつの間にか、saiに取り残されてしまったあの哀れな子供の方に心を奪われてしまっていたんだな。



そうか、オレが進藤を……進藤を。



……そう気付いた時には正直、頭を抱えたものだった。心の底から後悔した。
厄介なことになってしまった。なんて面倒臭いものにオレは惚れてしまったんだ。
アキラくんがオレに好意を抱いているのと同じように、進藤がアキラくんに対して只ならぬ想いを抱いていることも知っていた。そしてオレが進藤に? 何てことだ、どこも交わることのない一方通行。まるでメビウスの輪だ。
あまりにも滑稽すぎてちっとも笑えない。

だが身を引く気はなかった。
アキラくんは可愛い弟弟子だし、進藤は惚れた相手。どちらもまだほんの子供だ、傷つけたくはない。
オレが進藤を想えば確実に二人とも傷つくことになる。なのに身を引くことが出来なかった。
だってオレがここで自分で自分にトドメを刺して身を引いて──そうしたらオレのこの気持ちは何処に行ってしまうのだ? 誰にも気付かれることなく音もなく消えてしまうのか?

saiのように。


冗談じゃなかった。
残念ながらオレはそこまで出来た人間でもなく自分が思うよりも大人でなかった。



アキラくんの想いは受け入れられない。
だからといって進藤をどうにかしようとも思わない。

ただ見ているだけでいい。
この場でグルグルと終わることのない輪を回り続けているだけで──オレはいい。



そんな風に願ってしまう自分が愚かで堪らなかった。









そんな擦れ違い続ける時が暫く流れて──ひょんなことから思わずオレはアキラくんの想いに一方的に終止符を打ってしまい、それから間をあけることなく進藤を強引に手に入れてしまった。

何て事だ。
自分の愚かさは知っているつもりだったが、ここまで馬鹿だとは思わなかった。
オレはそんなに進藤が欲しかったのか?







オレは進藤を手に入れて、どうするつもりだったのだろう。








































「……方さん、緒方さん!」






呼ばれる自分の名に、弾かれたように顔を上げる。
すると目の前にはオレが今いるこの部屋の主──頬を膨らました子供が座っていた。

「緒方さんオレの話聞いてた?」
「……ああ、すまない」
「も〜っ、今日の検討はもうオシマイ」

そう言って進藤は部屋中に広げていた棋譜をしまう。
すべて進藤が自分で打ち、並べた膨大な量の棋譜。
いつの間にこんなに打っているのか、オレがこうして進藤の部屋に訪れる度にその棋譜は増えていった。

棋譜で埋め尽くされた部屋──進藤が一人暮らしをする部屋。
何もない部屋だった。
あるのはこの膨大な量の棋譜と碁盤と、そして僅かな食料と水と、ベッドだけ。
オレの家以上に生活感のない部屋は、碁を打つためだけに存在しているかのようだった。


「相変わらず何もない家だな」
「お茶、出してるじゃん」
「そういう意味じゃない。テレビくらい買ったらどうだ、ってことだ」
「必要ないもん」


碁を打つのにはな。
オレがフウと溜息をついて煙草を消すと、進藤は悪戯っぽくククッと笑った。


「緒方さん、オレが心配?」
「なに?」
「そう顔に書いてあるよ」


進藤はそう言ってクスクスと笑った。


「緒方さんは、冷たいフリして優しいからね」
「………」
「大丈夫だよ。オレ、そこまで追い詰められてないし」
「………」
「ただオレは、もっともっと碁を強くなって、塔矢に」


そう進藤が話している途中で──オレは強引に進藤の右手を掴み挙げた。
突然腕を引っ張られた進藤は、険しい顔をしてオレを睨む。
そんなオレの腕の中にあるのは、進藤の腕に巻かれた黄色のリストバンド。
進藤の腕を隠すそれは妙に鮮やかな色で、酷く鬱陶しかった。


「じゃあ何だ? この腕は」
「………」
「それでもまだお前は」


今度はオレが話している途中で、それを遮るかのように進藤がクスクスと笑い出した。
思わずオレが口を噤むと、進藤はますます大きな声でアハハと笑った。
そして目元に堪った涙を抑えるような仕草で、笑いながら進藤はオレに言う。


「やっぱり、緒方さんは優しいね」
「………」
「でもそれじゃあ」



























駄目なんだよ。































そう言われたたような気がした。


実際に進藤からその言葉が聞こえてくることはなかった。
何故なら、その言葉を飲み込むようにして進藤がオレに深く口づけてきたからだ。
自分から口を合わせてきた進藤を、オレは好きにさせる。
すると小さな舌でオレの舌を絡め取って吸い上げ、口内を貪る卑猥な水音が耳に響いた。

その間ヤツの手は必死になってオレのネクタイを解こうとしている。
あの黄色いリストバンドの巻かれた、その右手で。
馬鹿なヤツ。
自分のネクタイも締めることの出来ないヤツが、人のネクタイを解くことなど出来るものか。



このオレが優しいだと?
調子に乗るなよ、クソガキ。



ネクタイを掴んでいた華奢な右手を掴んで身体を反転させ、そのままベッドへと倒れ込む。
キスを続けながら服を強引に脱がしてヤツの敏感な部分に触れると「……あ…」と喉の奥から小さな声が漏れた。
そうしてオレはまた、進藤を抱く。
もう何度目になるのだろう。オレがコイツを犯すのは。

どれだけ回数を重ねても、この無理のある行為に進藤が慣れることはなかった。
貫けば叫び声をあげて涙と血を流す。
だがヤツは決して逃げようとはせず、それどころか自分から求めてきた。
もっともっと深いところまで抉られようと必死になって腰を揺らし、そしてオレにもっと貫けという。
仕方なくオレがその望みを叶えてやると、満足したような顔をしながら失神する。

いつもそうだった。

そして今日も──進藤はそうして気を失い、眠りに落ちてしまった。
血に濡れた身体を清めて手当をし、眠り続けるヤツを見ながらオレは毎晩のように考える。





















オレは進藤を手に入れて、どうするつもりだったのだろう。























進藤。


オレは、ただ。












オレはただ、お前をこちらを向かせたかっただけなんだ。
いつの間にか笑顔をなくし、瞳に何も映さなくなってしまったお前の顔をこちらに向かせたかった。
その大きな瞳にもう一度光を映したかった。

なのにお前はオレを見ようともせずにアキラくんだけを見つめて──いや、彼を見つめているようで実はもっともっと遠くを見つめていて。

オレはそんなお前が許せなかった。








進藤。


お前のその見つめている先には──想いの先には一体何があるのだろう。








オレは未だにそれを見つけることが出来ず、そしてお前に問うことも出来ず。
ただ傷ついていくお前を見ることしか出来ない自分が憎くてたまらないよ。

結局オレは、お前の身体を手に入れても何も変わっていない。
また一つの場所でグルグルと回っているだけ────





オレはあの時、どうすれば良かったのだろう。
それは今もわからないままだ。
































愛して欲しいなんて言わない。
ただ、これ以上傷ついてほしくない。


たった、それだけのことなのに。